「業」

・ごう〔ゴフ〕【業】

人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。

前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。「―が深い」「―をさらす」「―を滅する」

理性によって制御できない心の働き。






 1817年 某日。

 結区:マイオウギから数kmほど離れた所に、承区:ガトという1つの国があった。
 木材による建築が盛んに行われており、衣服も新しいもの物が次々と作られたり、水時計や砂時計が開発されたり、
 正に経済成長の真っ只中であった。
 ガトはマイオウギの友好国である。お互いに情報交換を行ったり、お互いの技術を伝えたりと協力し合っている。
 ガトはガトで抱えている問題があるので、マイオウギの戦争には参加していないのだが、
 マイオウギほど都の雰囲気は物々しく無く、人々が普通に行き交っていた。

 ガトも王制だった。都よりも高い石垣の上に、最近作り変えられたばかりの木製の城が建っている。
 そして、城に併設された、大きな図書館があった。
 数千もの本が並んだその図書館を利用しているのは、城の関係者、学者、そして…

「さあ…今日はどれを読もうかしら?」

 ガトの姫だった。
 姫に付き添っていた従者の女は、そわそわしていた。
「…姫、まだですか?まだ物騒なのですから、そうのんびりは出来ませんよ?」
「分かっているわ」
 城に併設されているとはいえ、公共の場だ。ここには誰でも入って来られる。
 栗色の美しい髪に、ガトの染物で作られた布を頭に巻いたガトの姫。
 姫は数冊の本を両手に抱え、満足そうに従者を見た。
「もっと居たかったけど…面白そうな本があったからこれでいいわ。さあ、行きましょう」
「本当に姫は、本が好きですね」
 そうして姫と従者は、入り口を見張っていた兵士と共に城へと戻って行った。
 これがガトの日常であった。


 ある日のこと。
 姫はいつもの通り、図書館で次に読む本を選んでいた。
 従者は図書館が安全かどうかを確認するために、館内を一回りしている最中である。
 基本的に図書館に居る顔ぶれは大体同じである。時々、頭の良さそうな一般人が入ってくることもあるが。
 そんな中、姫は1人の一般人に興味を持った。
 その人物は10mほど離れた場所で本を選んでいたが、姫の方からおもむろに近づく。
「こんにちは」
 姫は話しかけ、本を取り出しめくろうとしていた人物の顔を覗き込んだ。
 人物は、手を止めて姫を見た。
 姫は笑顔になり、
「やっぱり…!」
 と思わず口にする。
 何故、姫がその人物に興味を持ったのか…
「あなたは、私と同じぐらいの年の女の子ね。どこから来たの?」

 そう。その人物は、姫と同じ19歳程の少女であった。

 少女は無表情で姫の顔を見ると、
「…マイオウギから来た」
 と静かに答え、顔を本に戻すと本をめくり始めた。
 姫は少女の予想外の反応に一瞬呆気に取られたが、すぐには引き下がらない。
「私は、カエデ。あなたは?」
 引き下がる訳にはいかない。姫は立場上、外を自由に出歩けないのだ。同世代の少女と話をする機会など、そうは無い。
 しかし、
「…名乗る程の者では無い」
 少女の反応は相変わらずであった。
 姫…カエデは、少女の見ている本と本棚を見た。この辺りの本は、カエデも読んでいる。
 カエデは言った。
「歴史の勉強をしているのね。お勧めの本があるけど、聞きたい?」
 少女は、カエデの狙い通り少し反応した。本に関する話題であれば、会話をしてくれるはずだ、と。
 少女は再びカエデを見た。
「ここの本に詳しいのか?ここは本の量が多い。お勧めの歴史と地理の本を教えてくれないか」
「いいわよ!まずは…」
「姫!!」
 顔を輝かせたカエデの元に、従者が駆けつけてくる。
「もう時間です。それと、一般の者とはあまり話をしてはいけません。まだ物騒なのです、分かりますね?」
「物騒って、彼女は女の子よ?それにここは図書館だし、大丈夫でしょう」
 図書館では入室時に、所持している武器を入り口の係の者に預けることになっている。
 だから姫は、図書館に来ることだけは許されているのだ。
 従者は、少女を上から下までまじまじと見た。
「…まあ、丸腰の少女ですしね…しかし姫、今日は時間です」
 従者はそう言うとすぐに、カエデの背中を押して入口へ向かっていった。
 カエデは背中を押されながらも、顔だけは少女の方を向いて、
「あの、また明日、同じ時間に!!本を紹介するわ!!」
 と大声で叫んだ。
 少女はカエデに分かるように、こくりと頷く。
 それを見たカエデは、満足そうに図書館を出ていった。


 次の日。
 少女が再び図書館を訪れると、既にカエデが待機していた。
 床に本をずらりと並べて。
「これらの本は、詳しい上に無駄が無いわ。どうかしら?」
「…」
 少女は一冊一冊、大まかな内容を確認し始める。
 カエデはついに少女と打ち解けたと思い、手に持っているもう一冊の本も紹介しようと思いついた。
「この本は歴史や地理では無いのだけれど…外の国で綴られた神話なの。
”シクルクロニクル”という名前で、私のお気に入りなの。私と同じ世代ならきっと楽しめるわ!」
「いや、いい」
 カエデの紹介は一刀両断された。
 しかし…
「どれも良さそうな本だな。これらを借りていく。ありがとう」
 こちらの本の方は気に入って貰えたようだ。カエデは満足した。
「ちょっと待って!」
 本を抱えて図書館を出ていこうとする少女に、カエデは再び話しかける。
「そろそろ、名前ぐらい教えて貰えない?」
「…」
 少女は暫く考え込んだ。昨日のようにいきなり拒否されはしなかったが。
「…そのうち名乗る」
 やはり、教えて貰えなかった。
「もう!!」
 少女の後ろ姿にカエデは頬を膨らませたが、同世代の少女と会話をしたことに何よりも満足していた。


 図書館に少女が訪れては、カエデが本を紹介する。
 そんな日々が数週間は続いた。

 ガトの姫・カエデはとても好奇心旺盛で、勘も鋭かった。
 ある日突然、図書館に現れたこの少女が何者なのかを、カエデは独自に調べたり考察をしたりしていた。
 そして辿り着いた答えは…

「こんにちは、”カルマ”さん」

「…!?」
 今までほぼ無表情だった少女の顔が、一瞬驚きの表情に変わる。
 そう、この少女は…

 先日、マイウオギから静かに去ったと噂されている、神の遣い。
 髪は赤褐色。長い髪を1つに結い、服は主に緑と深緑。帰りに必ず1本の剣を下げて去っていく。
 そして、時代に合わない古風な口調。
 この少女は、カルマであった。

 少女…カルマの表情でカエデは確信を持ち、更に続けた。
「あなた、マイオウギに居たカルマよね?服以外は文献通りの見た目だわ」
「人違いだ」
 カルマは無表情に戻り、即座に否定した。が、カエデは引き下がらない。
「マイオウギの時のように、ガトの城にも住んで欲しいの…いいかしら?」
「それは出来ない」
 カルマの言葉は住むことを否定しているが、”カルマ”であることを肯定してしまっていた。
「どうして…?」
 困った表情のカエデに、カルマは自分がカルマであることを認めた上で、こう言った。
「理由があって、一か所に留まる事がことが出来なくなった。そして今、自分の正体を知られてしまった。もうここには来ない」
 カエデの顔は真っ青になった。こういう展開になるとは思っていなかったからだ。
 図書館から出ようとするカルマの腕に、カエデは咄嗟にしがみつく。
「待って!!ごめんなさい…!」
 カエデは懇願した。
「このことは誰にも言わない!もう城に住んでほしいだなんて言わない!!だからまたここに来て。
カルマは知識が欲しいのよね?私を利用すれば効率よくガトの知識を得られると思うわ、悪くないでしょ??」
 カエデは咄嗟にカルマを引き止める方法を思いつき、口にした。
 カエデはカルマへの興味から、そして同世代の知人としてカルマを失いたくなかった。
 カルマは少し考えてから、カエデの方をようやく振り返った。
「…それは助かる。ガトについてはまだ学びきれていない。だが、何かあったらすぐにガトを出るからな」
 カエデの表情が再び輝く。
「お役に立てるようにがんばるわ!」